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せん長の「ぽんぽこコラム」
幼少年期のスポーツに対する子供の意欲と親の期待について②
30数年前、学生だったときに書いた論文を読み返してみました。当時の私が課題だと思っていた事柄は、子供を主語にする教育論、伴走者としての教師の在り方、非認知能力の重要性等が教育的課題として認識される社会の潮流により好転している部分もあれば、未だ課題のままの点もあるなという感想です。
22歳の私が書いた論文の一部を3回に分けて掲載します。本文はその2回目です。言葉や表現等、文言の調整は行いました。
親に望むことは、子供にプレッシャーを与えないようにすることである。他の子供と比べたり、試合などで勝つことを強く望んだり、過度な応援をしたりすることなどは、子供の心に大きなプレッシャーを与えることになる。本来のプレーが歪めらる可能性もある。さらに、子供がスポーツを楽しむことを妨げるとも考えられる。もっと自由に、大きな心で見守ってほしい。そして、時には一緒にスポーツを楽しむことも大切ではないだろうか。今までとは違った子供の表情を見ることができるのかもしれない。
スポーツ指導に名を借りて指導者にしつけを望む親がいる。これは見当違いである。指導者も道徳的に反する行動には厳しく対応する必要はあるだろうが、練習や試合の指導を通して根性を付けてもらいたいとか、厳しく指導し忍耐力を付けてほしいといったことを望む親がいる。根性、忍耐力といったものが、もしスポーツで養うことができるのであれば、それは子供が自分自身でその力を発見し、育てていくものだと考える。他人により強要されて付けた力など、本質的な力ではないだろう。人間として成長する中で様々な経験をし、様々な状況に立たされたときに、自分でそれを乗り越えていく上でそれらの力が育てられ、発揮されていくのだろう。親はもっと子供の自由な活動を認め、成長を待ち、そして見守っていくことが必要であり大切なのだろう。(中村 崇)
本文は、中村 崇(1992)幼少年期のスポーツに対する子どもの意欲と親の期待について.上越教育大学.pp.63-66の一部を加筆修正し掲載