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カテゴリ:幼児教育

幼少年期のスポーツに対する子供の意欲と親の期待について①

 30数年前、学生だったときに書いた論文を読み返してみました。当時の私が課題だと思っていた事柄は、子供を主語にする教育論、伴走者としての教師の在り方、非認知能力の重要性等が教育的課題として認識される社会の潮流により好転している部分もあれば、未だ課題のままの点もあるなという感想です。

 22歳の私が書いた論文の一部を3回に分けて掲載します。本文はその1回目です。言葉や表現等、文言の調整は行いました。

 

 

 子供が自主的にスポーツをはじめようとする要因の中に、あこがれの選手の存在がある。他の要因としても、そのきっかけが保護者や兄姉であったり、学校や幼稚園等の教師の影響であったり、アニメやCMであったりもするだろう。このように考えると、根底にあるものは「あこがれ」があると言えるのではないか。換言すれば、視覚的・聴覚的刺激を手掛かりにイメージを形成する。それにより興味が起こり、意欲へと移っていく。その意欲が環境を媒介に動機づけられ、行動へと子供を導く。その興味が向けられたものがスポーツであれば、スポーツ的な遊びへと発展していくであろう。

 事例を挙げる。幼稚園教育実習中の出来事である。“お楽しみ会”のときに私がサッカーのユニフォームを着て、頭や腿、肩、足の甲などを使ってのボールつき(ボールリフティング)を子供たちの前でやってみた。すると翌週(“お楽しみ会”は土曜日だった)には、子供の中からサッカー的な遊びが出てきた。遊戯室の対面の壁をゴールと見立てての簡単なゲームではあったが、子供たちの顔は喜びに満ちていた。そして約一ヶ月後の作品展では、サッカーをしているところの紙版画を作った子供が二人いた。

 本来、子供のスポーツとは、遊びとしての活動であるべきだろう。しかし現代では社会構造の変化に伴い、遊びとしてのスポーツが発生する広場や空き地が減少し、その代役として組織的なスポーツクラブが求められている。この現象は、現状から考えれば仕方ないと考えられるが、その中で大切なのは、大人、特に子供の親と指導者が、子供のことをどのくらい理解しスポーツ活動に関わっていくかということであろう。(中村 崇)

 

本文は、中村 崇(1992)幼少年期のスポーツに対する子どもの意欲と親の期待について.上越教育大学.pp.63-66の一部を加筆修正し掲載

てんぷら

 葉っぱのてんぷらレシピを記します。

 これは、以前お世話になった保育者の方から教えていただいたものです。

 

 材 料:新鮮な葉(雑草の大きめな葉)・水・おがくず

 作り方:①葉を水につけて、濡らします。

     ②濡らした葉におがくずをまぶします。

     ③皿に盛りつけます。

 

 園におがくずは常時ないですよね。子供たちと一緒に遊ぶ中で、おがくずの代わりに使ってみたものは、栗の花や枯れた葉をすり鉢で細かくしたものです。

子供たちと「代替食材」を探すのもおもしろいでしょうね。(中村 崇)

「の」の ひみつ

 Googleマップを見ていたら、?!!「の」があるではないですか。おもしろい、なんだろう、という思いに駆られ調べてみました。あるお宅の庭にある道でした。この心が躍る体験は、貴重な「溶解体験」(以前このコラムに書きました)になりました。

 今回は、「の」のひみつを探っていきたいと思います。なんの「の」かと言いますと、「発達段階」と「発達の段階」、「発達課題」と「発達の課題」、「環境構成」と「環境の構成」の「の」です。「の」が付くか否かで、それぞれが表す文言に違いはあるのでしょうか。

 「の」が付くときは、例えば「環境」と「構成」を分けて捉えてほしいときなのだと考えます。すなわち、「発達段階」、「発達課題」、「環境構成」が従来もっている意味とは違う意味を表現したいのだろうと考えます。

 「発達段階」とは、多くの人に共通して見られる発達の道筋であると言われています。一方、「発達の段階」とは、人生という道の過程での変容としての「発達」における、その人またはその人たちの今の位置という意味での「段階」と考えられます。

 「発達課題」とは、人間が健全で幸福な発達をとげるために各発達段階で達成しておかなければならない課題であり、次の発達段階にスムーズに移行するために、それぞれの発達段階で習得しておくべき課題があると言われています。一方、「発達の課題」とは、「発達」という人の生きる過程の中で、その人が乗り越えることで新しい世界が開ける意味での「課題」と考えられます。

 「環境構成」とは、保育者が望んでいる遊びや活動を引き出すための材料や用具を用意し子供の活動を誘発するという考え方を基にした物的環境を準備・配置することと言われています。一方、「環境の構成」とは、子供の興味・関心に即した「環境」(もの、人、自然・社会現象、時間、空間、雰囲気など)を相互に関連させながら、その子供にとって必要な体験を積み重ねていける状況づくりを「構成」と捉え理解することができます。

 「の」のひみつを探る話はこれでおしまいです。様々な考え方はありますが、私なりの考えをまとめてみました。この思考過程は、私にとっておもしろくて刺激的な体験でした。(中村 崇)

 

Googleマップは、Google LLCの商標です。

初出:ぐんしよう №203 (一社)群馬県私立幼稚園・認定こども園協会

ところでさぁ

 幼稚園で担任をしていたときの話です。

 Aちゃんが、おうちの方の仕事について、自分が知っている情報を情熱的に伝えています。

 A:「印刷の仕事はねえ、大きな機械を動かしてね、すごいたいへんなんだよ」

私:「そうなんだぁ。たいへんな仕事なんだね」

 A:「そうなんだよ」

 

 Aちゃんの動きが一瞬止まり、そして私の顔をじっと見つめて

 A:「ところでさぁ、せんせいって、何の仕事してるん?」

 

私:「えっ?‼」(今度は私の動きが止まった)

 

 保育者として、Aちゃんからもらった最高の言葉だったと思います。なぜなら、毎日、真剣に子供たちと遊んでいたことを認められたと思うからです。Aちゃんは、この「せんせい」という大人は毎日、自分たちと遊んでいて仕事をしているのかなあ、不思議だなあ、と思ったのではないでしょうか。

 子供の言葉を大人の視座で理解(理解力の不足など)するなら、子供の心に寄り添う教育の実現は難しいと考えます。そして子供の姿は、保育者の保育についての評価であると考えます。子供の評価のみで、保育者自身の評価が外れていることはないでしょうか。(中村 崇)

 

「遊び」-「遊ぶ」をめぐる教師の視点と“構え”

 みなさんは、子供の「遊び」をどのように捉えていますか。仲間と一緒に笑顔で活動していることを、「遊び」をしていると捉えますか。この「遊びをしている」と「遊ぶ」に違いはあるのでしょうか。本稿は、子供の育ちを支える教師の指導の在り方について、「遊び」-「遊ぶ」をめぐる教師の視点と“構え”という視座から考えていきたいと思います。

 「遊び」については、ヨハン・ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」やロジェ・カイヨワの「遊びと人間」をはじめ、様々な考察が行われてきました。私が本稿で取り上げるのは、杉原隆の論考です。杉原は「生涯スポーツの心理学」(2011)にて、内発的に動機づけられた活動こそが「遊び」であるとし、「遊び」を連続体として捉えることを提言しています。人間は、一つの動機だけで活動することは少ないと考えられますので、遊びを内発的動機かそうでないか(外発的動機)という二分法で捉えることは困難であるわけです。そこで、内発的動機づけを「遊び要素」、外発的動機づけを「非遊び要素」と考え、内発的動機づけが強いほど遊び的な活動であり、逆に外発的動機づけが強くなるほど遊びではなくなるとしたのです。例えば、友達と一緒にやりたい(親和動機)、先生に褒められたい(承認動機)、その活動の面白さに惹かれている(内発的動機)などのように同時に複数の動機をもっている場合、友達と一緒にやりたいとか先生に褒められたいとの思いが強い場合は非遊び要素が高く、その活動の魅力や面白さに惹き付けられている場合は遊び要素が高いということになります。このように、同じ活動をしていても、遊びとしての活動という場合もあれば、まったく遊びとは言えない活動もあることになるわけです。このような「遊び」の捉えを見ていくと、私たち教師は前述の意味での「遊び」の発生を支え、時間的・空間的・人的な保障をしていくことがその役割と考えられます。

 しかし、子供と共に過ごす中で意識を向ける必要があるのは、むしろ「遊ぶ」ではないのかという考えにも至るのです。「遊ぶ」という行為の中で子供は何を経験し、何が育ちつつあるのかを読み取って、「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」を念頭に置きつつ、子供理解に基づく一人一人の発達の課題に子供自身が向かっていく(乗り越えていく)状況をつくることが、本質的な教育の意味(教師の役割)と考えるのです。この教育実践には、幼児期の教育に携わる教師(保育者)の高度なファシリテーションスキルが有効に働いていると考えられます。ファシリテーションスキルには、基本的な四つのスキル「場をデザインするスキル」「対人関係のスキル」「構造化のスキル」「合意形成のスキル」があると言われます。「場をデザインするスキル」は、「環境の構成」という考え方、特に「状況づくり」が深く関係しています。「対人関係のスキル」は、安心感や信頼関係、そして「構造化のスキル」「合意形成のスキル」は子供と一緒に悩むという姿勢、すなわち子供の主体性や思考を促す“構え”に深く関係しています。

 このような教師の視点と“構え”は、今日的な教育課題である「STEAM教育」や「非認知能力(社会情動的スキル)の育成」等を乗り越えるヒントにもなり得ると考えられます。幼児教育施設に所属の皆様は、「〇〇遊び」という“かたち”ではなく、「遊ぶ」という行為に内在する教育的価値に一層深く意識を向けてみてはいかがでしょうか。小・中・高・特別支援学校に所属の皆様は、幼児期の教育の理解を進めてみてはいかがでしょうか。(中村  崇)

初出:ぐんま幼児教育センターだより 第41号