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カテゴリ:幼児教育

「遊び」-「遊ぶ」をめぐる教師の視点と“構え”

 みなさんは、子供の「遊び」をどのように捉えていますか。仲間と一緒に笑顔で活動していることを、「遊び」をしていると捉えますか。この「遊びをしている」と「遊ぶ」に違いはあるのでしょうか。本稿は、子供の育ちを支える教師の指導の在り方について、「遊び」-「遊ぶ」をめぐる教師の視点と“構え”という視座から考えていきたいと思います。

 「遊び」については、ヨハン・ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」やロジェ・カイヨワの「遊びと人間」をはじめ、様々な考察が行われてきました。私が本稿で取り上げるのは、杉原隆の論考です。杉原は「生涯スポーツの心理学」(2011)にて、内発的に動機づけられた活動こそが「遊び」であるとし、「遊び」を連続体として捉えることを提言しています。人間は、一つの動機だけで活動することは少ないと考えられますので、遊びを内発的動機かそうでないか(外発的動機)という二分法で捉えることは困難であるわけです。そこで、内発的動機づけを「遊び要素」、外発的動機づけを「非遊び要素」と考え、内発的動機づけが強いほど遊び的な活動であり、逆に外発的動機づけが強くなるほど遊びではなくなるとしたのです。例えば、友達と一緒にやりたい(親和動機)、先生に褒められたい(承認動機)、その活動の面白さに惹かれている(内発的動機)などのように同時に複数の動機をもっている場合、友達と一緒にやりたいとか先生に褒められたいとの思いが強い場合は非遊び要素が高く、その活動の魅力や面白さに惹き付けられている場合は遊び要素が高いということになります。このように、同じ活動をしていても、遊びとしての活動という場合もあれば、まったく遊びとは言えない活動もあることになるわけです。このような「遊び」の捉えを見ていくと、私たち教師は前述の意味での「遊び」の発生を支え、時間的・空間的・人的な保障をしていくことがその役割と考えられます。

 しかし、子供と共に過ごす中で意識を向ける必要があるのは、むしろ「遊ぶ」ではないのかという考えにも至るのです。「遊ぶ」という行為の中で子供は何を経験し、何が育ちつつあるのかを読み取って、「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」を念頭に置きつつ、子供理解に基づく一人一人の発達の課題に子供自身が向かっていく(乗り越えていく)状況をつくることが、本質的な教育の意味(教師の役割)と考えるのです。この教育実践には、幼児期の教育に携わる教師(保育者)の高度なファシリテーションスキルが有効に働いていると考えられます。ファシリテーションスキルには、基本的な四つのスキル「場をデザインするスキル」「対人関係のスキル」「構造化のスキル」「合意形成のスキル」があると言われます。「場をデザインするスキル」は、「環境の構成」という考え方、特に「状況づくり」が深く関係しています。「対人関係のスキル」は、安心感や信頼関係、そして「構造化のスキル」「合意形成のスキル」は子供と一緒に悩むという姿勢、すなわち子供の主体性や思考を促す“構え”に深く関係しています。

 このような教師の視点と“構え”は、今日的な教育課題である「STEAM教育」や「非認知能力(社会情動的スキル)の育成」等を乗り越えるヒントにもなり得ると考えられます。幼児教育施設に所属の皆様は、「〇〇遊び」という“かたち”ではなく、「遊ぶ」という行為に内在する教育的価値に一層深く意識を向けてみてはいかがでしょうか。小・中・高・特別支援学校に所属の皆様は、幼児期の教育の理解を進めてみてはいかがでしょうか。(中村  崇)

初出:ぐんま幼児教育センターだより 第41号